考え続けて今思うこと。

最近のこと

前回の投稿から、ずっとぐるぐると考え続けているところです。

いや、前回もべつに「棲み分け」一択でゴリ押ししたつもりはなかったのですが……

あらためて伝えておきたいことがあったので、追記させていただきます✨

「犬連れ禁止」のニュースから見えてきたこと

前回ブログにも書きましたが、最近、公園で犬連れが禁止になったというニュースを目にしました。

それを見て、改めて感じたのは――

やっぱり、「棲み分け」だけじゃなくて、「共生」の道も必要なんじゃないかな、ということです。

棲み分けだけだと、歩み寄りが失われる

棲み分けによって、たしかに目の前のトラブルは一時的に減るかもしれません。

でもそれは、「歩み寄りのチャンス」がなくなることでもあるのでは?と思うのです。

時代とともに人間関係が希薄になり、気楽になった面もあります。

でも、逆にちょっとしたコミュニケーション不足が原因で起きるトラブルの多さに、私は残念な気持ちを抱いています。

適度な距離感、でもつながりも

誤解しないでくださいね🙏

「合わない人とも無理して一緒に過ごそう」なんて言うつもりはまったくありません。

誰にとっても、適度な距離感は大切です。

でも、同じ地域・同じ時代に生きている者同士、災害時などに助け合うこともあるかもしれません。

だからこそ、深い関係じゃなくても、

「こんにちは〜☀️」

「お元気ですか😊?」

そんな挨拶が自然にできるような場所って、お互いを認め合える安心感につながると思うのです。

「棲み分け」は分断にもなりうる

話を戻します!

「棲み分け」という言葉はスマートに聞こえるけれど、その裏に「分断」も含んでいます。

分断が進めば進むほど、お互いの理解のチャンスはなくなっていきます。

それはつまり、犬を飼っている人とそうでない人の間で――

生き物を慈しむ心、マナーを学ぶ機会、そして信頼関係までもが育たなくなってしまうのではないかと感じるのです。

極端な言い方かもしれませんが、お互いを「敵」として見てしまう未来さえ、見え隠れしてしまいます。

「犬を飼っている人 vs 飼っていない人」では語れない

でも実際には、そんな単純な構図ではありませんよね。

たとえば私自身は今、犬を飼っていないけど、動物が大好きです!

飼いたくても環境的に難しい人もたくさんいます。

というのも、

公園で犬連れ禁止に繋がるクレームを入れている人の中には、実は犬を飼っている人や犬が好きな人もいるのだそうです。

一見不思議に思えますが……よく考えると、わかる気もします。

自分はちゃんとマナーを守っているのに、一部のルールを守らない人のせいで肩身が狭くなる。

その悔しさや怒り、切なさ――きっと私も同じ立場だったら、感じると思います。

どうすれば、みんなが気持ちよく過ごせる場所になる?

この問題を通して、あらためて見えてきたのは、以下のような立場の人たちが存在するということ。

犬連れでマナーの良い人たち

犬連れでマナーの悪い人たち

飼っていないけど犬好きな人たち

犬が苦手な人たち

この多様な立場をどうすり合わせていくかが、これからの課題だと感じています。

棲み分けと共生の「二刀流」で未来をつくる

たとえば、

みんなが基本的な知識やマナーを学ぶこと。

曜日や時間帯で利用を分けるような「ゆるやかな棲み分け」

そんな風に、棲み分けと共生の“二刀流”で考えられたら、

分断ではなく、理解や信頼を積み重ねる未来に繋がるんじゃないかなと思いました。

社会は、わたしたちの手でつくるもの

なんだか政治家の発言みたいになってしまいましたが(笑)

でも、いつの時代も社会は、誰かが決めてくれるものではなく、私たち一人ひとりの手でつくっていくものです。

だからこそ、

「前例がないからできません」

そんな言葉におさまっている場合じゃない、と私は思っています。

あなたはどう思いますか?

犬のいる暮らし、そして地域とのつながりについて、

ぜひ一緒に考えてみてほしいです🐾

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