昨夜、私は人生で初めてオンラインセミナーを受講しました。
テーマは「ペットエンディングケア」。ペットの終末期ケアに関する内容です。
18:30〜21:00という長丁場。
決して安くない受講費もあり、「これは絶対に聞き逃せない!」と、全集中モードで臨みました。
そんな私の“全集中”を支えてくれたのが、家族の面倒を引き受けてくれた夫マンの存在です。
ほんとうに感謝しかありません。
動物の「声」に寄り添う現場のリアル
セミナーの具体的な内容はここではお話できませんが、
とても実践的で、現場のリアルな様子にたくさん刺激を受けました。
講師は動物看護士、トリマーなど複数の資格を持ち、
動物病院に併設されたトリミングサロンで実際にトリマーとして働いている方。
優しい口調でフランクに話される方でしたが、
その言葉のひとつひとつから「動物に本当に寄り添っている」という誠意が伝わってきました。
特に印象に残ったのは、
「飼い主のオーダーよりも、動物の出すサインを優先する」という姿勢。
それはそのサロンが「動物の声を聞くことを徹底する」というスタンスを掲げているからこそ。
その軸がブレると、一貫性がなくなり、お客様にも信頼されなくなるという話に、深く納得しました。
動物の「5つの自由」とは?
セミナーでは「動物の5つの自由」という考え方についても触れられました。
- ① 飢えと渇きからの自由
- ② 不快からの自由
- ③ 苦痛・傷害・病気からの自由
- ④ 通常の行動を発現する自由
- ⑤ 恐怖や抑圧からの自由
これはイギリスで古くから提唱されている、動物福祉の基本理念です。
愛玩動物だけでなく、家畜にも適用されるこの考え方は、今もなお動物愛護の礎として根付いています。
私たちは「人間のためのペット」でも、「ペットのための人間」でもない。
違う命として互いを尊重しながら共に生きるという選択を、ずっとしてきた存在です。
だからこそ、その関係性は
人間側の「努力」と「気づき」なしには、決して成り立たない。
この関係の尊さを、何度も何度も確認し続ける必要があると、改めて思いました。
エンゼルケアの意義を問い直す
セミナーを通して、エンゼルケアには人とペット、それぞれに違いと共通点があることに気づきました。
たとえばペットでは、整髪や爪を整え、それらを思い出として残すことがあります。毛や爪は、生前のぬくもりや存在感を象徴するものとして、大切に保管されることもあります。
一方で、人間では亡くなった後に体の一部を残すという文化はあまり見られません。これは、体に対する「神聖さ」や「触れないもの」としての意識、また医療・葬儀の専門家によるケアが主であることが影響しているようです。
それでも、亡くなった後も生前と変わらず、ていねいに体を清め、整えて送り出すという想いは共通しています。人の場合、それは「清拭」や「湯灌(ゆかん)」といった儀式から始まり、「身支度」「納棺」へと続いていきます。
こうした小さな段階を一つひとつ丁寧に行うことは、遺された家族が現実を少しずつ受け止め、心を落ち着けるための大切な時間でもあります。
最期のその時まで、誰かが「大切にしてくれる」「丁寧に見送ってくれる」——そのこと自体が、人にもペットにも共通する「幸せ」なのだと、改めて感じました。
別れの時を「ありがとう」で満たすには
講師の方が話していた言葉、私が思っていたこと、多くの人が感じていること。
それは、
「いつか必ず最期のときは来る。でも、その時に感謝の気持ちでいっぱいにするには、毎日を大切に過ごすことが大切」ということ。
彼ら(動物たち)は、いつも「今この瞬間」を生きています。
そんな彼らの姿から、私たちが学べることは本当にたくさんあります。
もっとシンプルに、もっと自由に、
もっと愛情をもって生きていきたい。
そして、そんな当たり前のことを、
少しずつでも、世の中に広めていけたらと思います。
今日も、明日も、
「今この瞬間」を大切に。